僕は「カリスマ」に憧れる。


経営者、教授、友人、先輩、なりたい人になるには、多重影分身しないと間に合わない。

心から人の笑顔を引き出せる人、いつもみんなの話題になる人、多才な人、時間の使い方が上手な人、その人の魅力に触れた時、とても羨ましく、同時に妬ましく、悔しがる自分がいる。


なぜこんなに人のことをうらやましく思うのか?
答えは簡単だ。人から認められたいから、すごいと言ってもらいたいから
ねたむ人は常にチヤホヤされ、話題として出てくる。そんな人になりたかったのだと思う。


けど、自分はそんな人間にはなれない。そう気づけたのは就職活動だった。
就職活動を通して、「自分はペーパーマリオであること」に気づいたのだ。

居酒屋さんの起業、90人の寮のリーダー、サークルの幹部、ベビーシッターインターン、取得単位数203単位など活動自体はたくさんしてきたし、そんな自分にある程度満足はしていた。

しかし、面接で話せないのだ。頑張った活動はある。けど、自分が何をどういう想いでやったのか?それがなかったのだ。特に理由もないまま、引き受けたり、挑戦したりすることが多かった。
別に全ての活動に一貫性を持って、取り組めというわけではないが、やる活動にフリーライダーとして乗っかっていただけなのだ。

だから、面接でも「君の人間性が見えない」と言われ続けてきた。

 


就職活動する中で、たくさん考えた。自分自身が4月から働く予定の会社の面接対策には2冊のノートをつぶしたし、100人くらいの人にあって自分を見つめなおした。

 

この中で分かったことは2つだ。
1つは、自分自身にしか矢印が向いていなかったこと、「こういう風に人から見られたい」という理想のペルソナを作って、それを取り繕うのに必死だった。
もう1つは、自分ができる等身大の経験をしていこうと思ったことだ。就職活動で出会った友達は、目を輝かせながら自分に、経験を話してくれる。その人らしいし、そういう中で挑戦している姿を見て、自分が恥ずかしくなった。

 

最初の話に戻ると、「今まで憧れていた人は今の自分ができる等身大の経験を語っている人」、「その人らしさが所作からにじみ出て、自分の心に触れる」そういう人に憧れていたんだと腑に落ちた。

 

 

だから今は、等身大サイズの服と靴を履いて、とりあえず心を落ち着かせている。